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CPU | AMD K6-2 300MHz ( Running at 350MHz) | 新規 |
M/B | ASUS P5A - L2 Cache 512KB | 新規 |
Chipset | Acer Labolatories Inc. Alladin5 - AGP/FSB100MHz/ATA33 | 新規 |
Memory | SDRAM 64MB PC100 | 新規 |
Graphic | Sparkle VGA Card - S3 ViRGE DX 4MB | 友人から安価で買取 |
HDD | MELCO DNA540A(Conner 540MB IDE) → IBM DTTA-351010 10.1GB UltraATA33 5400rpm |
PC-98より流用 →新規 |
ODD | NoBrand CD-R/RW Drive - R4/RW4/Read12 | 新規 |
FDD | 3Mode Floppy Disk Drive | 新規 |
Case | Middle Tower ATX 250w | 新規 |
MONITOR | NEC PC-KM151 MultiSync 15inchi | PC-98から流用 |
OS | Microsoft Windows98 Second Edition | 新規 |
専門誌などを読み漁るうちに
スタンドアロン利用では物足りなくなり
パソコン通信に興味を持つ。
親と調整を重ね、やっとのことで通信モデムを導入(1993年ごろ)
当時最先端の14400bps対応だった(aiwa製 PV-BF144)
モデムに付属していたイントロパックを利用してNIFTY-Serveに加入。
料金はクレジットカード払いのため親名義で登録。
用途は主にフリーソフトのダウンロードで、掲示板やメールなどはほとんど利用しなかった。
当時費用は、電話料金とは別に接続料が発生し、
通信速度によってレートが異なり、従量制で割高だった(9600kbps以上で1分20円)
電話料金+接続料で考えると、最低3分70円はかかる。
うちの場合は田舎で、接続先(アクセスポイント)が市内区域になく
隣の区域(市外)となり、電話料金が割高となった(合計3分80円)
1回あたり1時間前後利用すると、1600円もかかってしまう。
費用は当然親が負担するため、怒られないように利用するには月に数時間が限界だった。
その後、インターネットが利用され始めNIFTYでも接続サービスが始まった。
パソコン通信に比べると、やり取りするデータが激増(通信に時間がかかる)するようになり
月数時間の接続では物足りなくなっていた。
費用をなんとか抑えようと、あれこれ検討を重ねた。
広告を表示することで料金無料となることが話題になったHypernet社のHotCafeを試したり
電話料・通信料込のDDIのDIONを使ってみたりと
当時は接続プロバイダがころころ変わっていた。
いろいろ試した結果、使用していたワープロソフト「一太郎」を開発していた
ジャストシステムのプロバイダサービス(Justnet)に落ち着いた。
月額500円でメールとホームページ作成ができて、接続料は1分6円と割安だった。
また、接続料金がクレジットカードだけでなく口座振替も使えることは価格以上の魅力だった。
これにより接続料金部分の負担を親から切り離すことができるようになり、
親の目を気にしながら使っていた状態から、ある程度解放された。
(1時間当たりの接続料は NIFTY1200円からJustnet360円+固定500円へと激減した)
電話料金定額制の「テレホーダイ」のサービスが始まると、
我が家でもなんとか導入できないかと画策する。
Justnetのアクセスポイントは当時市外にしかなく
テレホーダイの市外プラン(月額3600円・夜23時~翌8時まで定額制)を選択せざるを得ない
状態であるが、定額であることを親に必死にアピールしてなんとか導入にこぎつけた。
そこからは、深夜定額ということで夜更かしの日々が続く。
テレホーダイの利用者が増えてくると、テレホーダイ開始時間の23時となると
利用者が一斉に接続を開始し、なかなかつながらない状態になった(話中となる)
毎日、回線の争奪戦が行われていた。
電話料金が定額化したことで、こんどはプロバイダ接続料の従量制をなんとかしたくなった。
このころになると、接続料金定額制のプロバイダも多数出現しており
費用もだいたい似たり寄ったりだったため、
アクセスポイントが市内にあるものを探していたところ、
日本テレコムのODNが候補に挙がった。
さすがに電話会社だけあって、アクセスポイントが地方にも多数設置されており
我が家がある地区にも設置されていることが確認できたため、乗り換えを決めた。
これでプロバイダ料金は定額月1980円へと安くなった
(テレホーダイも市内プランに変更し、電話料金も月額1800円になった)
PC側の技術的な問題により、モデムを変えても、
通信速度をこれ以上あげることができないため
速度についてはしばらく現状維持の状態が続く。
高校に進学し、自作PCで環境を一新した頃にISDN回線への変更を検討する。
ISDN(INS64)では基本料金とテレホーダイの定額料がアナログ回線より高くなることと、
接続用の機器(DSU/TA)を購入する必要があり、親の説得には時間がかかった。
64kbpsの高速通信や、インターネット利用時も電話が利用可能な点(2回線)をアピールし
導入に至った。
その後、時期は定かではないが プロバイダを niftyに戻している。
メールアドレスの維持だけの契約になったり、光接続サービスなどの利用を経て
現在も契約中。何だかんだでniftyとは20年近くの付き合いとなっている。
2000年に入り、常時接続が話題になったころに我が家も検討を行ったが
ISDNとは異なり、サービス提供地域が大都市のみとなっており、
地方へ展開されるのは相当時間がかかることが予想された。
しばらくは無理だろうとあきらめていたところに
YahooBBが全国各地でサービス提供予定との情報が入り、急きょ情報収集を開始。
NTTですらサービス開始未定のわが街にあっても提供を予定とのことで申し込んだものの
音沙汰無し。
初期のYahooBB問題は説明するまでもないと思うので割愛するが
我が家も、しばらく連絡もなく放置される状況が続いた後、たしか1年ぐらいたって
ようやくサービスが提供されたと記憶している。
幸いアナログ回線に戻しても電話番号が変わることもなく、切り替えができた。
下り速度8Mbpsのサービスで、
電話交換局から3キロぐらいあるが3~4Mbpsのスピードが出ていて快適に使えるようになった。
■1台目 NEC PC-9821As/U2
モニタをつけただけで、ほかのオプションは一切なしで購入
それでも価格は40万円を超えていたはず。
ほんと何にもついていない。HDDですら。
最初は標準仕様で遊んでいたが、
その後、あれこれ機器を追加して目一杯性能を引き上げた。
商品名 | PC-9821As/U2 |
メーカー | 日本電気(NEC) |
CPU | インテル i486DXプロセッサ 33MHz |
メモリ | 3.6MB(標準) |
グラフィック | 640x480 256色 / 640x400 16色(標準) |
ドライブ | 3.5インチ フロッピーディスクドライブ x 2(3モード対応) |
モニタ | NEC PC-KM151 15インチ マルチシンクCRTモニタ |
購入日 |
1993年 第一家庭電器 |
CPU | AMD Am5x86-P75 133MHz (メルコ製CPUアクセラレータ EUA-QP0M) |
メモリ | 3.6MB(標準) + 32MBくらい? (メルコ製CPUアクセラレータ EUA-QP0M上に増設) |
グラフィック | ICM GI-5434 VRAM2MB Cirrus Logic CL-GD5434搭載 (Cバス経由) |
ドライブ | メルコ 内臓IDE HDD DNA540(Conner製CFA540A) メルコ 外付SCSI CD-ROMドライブ CDS-E 2.2倍速 ICM 外付SCSI PD/CDドライブ PDR-650N |
拡張カード | メルコ SCSI-2 I/F IFN-SC(ハーフピッチ50pin) メルコ ビデオキャプチャボード CBN-B |
通信機器 |
NEC Aterm IT60/D ISDNターミナルアダプタ DSU付 |
音声 |
Roland SoundCanvas SC-55T MIDI |
その他 |
フラットベットスキャナ NEOSCAN |
ソフトウェア |
Microsoft Windows 98 |
最初はPC付属のデモンストレーションプログラムで遊んでいた。
そのうち、何をするにもOSがなければどうにもならないことを悟り
MS-DOS ver3.3Dを購入。そしてすぐにMS-DOS ver5.0Aにしなかったことを後悔する。
(結局 後でMS-DOS5.0Aも追加購入)
HDD購入のタイミングでNEC版Windows3.1も購入した。
メディアはFDで20枚以上あってインストールが大変だった。
Windows95~98時代にあっては、IBM互換機の波が押し寄せ
ほどなくして、NECが互換機PC-98NXを発表した。
5年近く付き合ってきたPCも、性能向上の余地がほぼ無くなっており
抜本的な対策が必要となっていた。